ヒストリーゾーン

オートバイ
ダーリン号(1956年)

当時、東海地方には多くのオートバイメーカーがあり、ブラザーも精密加工技術を活かしてオートバイの開発を進め、1956年には3 0 0 台を試験的に生産しました。しかしその後タイプライター分野への進出が決まり、オートバイ開発を同時に進めることは会社の経営を圧迫しかねないと懸念されるようになりました。そこに東海地方を襲った伊勢湾台風の被害が追い打ちをかけ、1959年にオートバイ事業からは撤退しました。

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